2023.12.25
「久留倍官衙遺跡公園」は、国道1号北勢バイパス建設に伴う発掘調査で発見された飛鳥~平安期の朝明郡役所跡の久留倍官衙遺跡を公園として整備したもので、四日市市唯一の国指定史跡です。
公園内に入ると、エントランスに「くるべ古代歴史資料館」があり、久留倍官衙遺跡のことが分かる学習展示室があります。久留倍官衙遺跡の変遷や、古代朝明郡のこと、壬申の乱や聖武天皇東国行幸、万葉集との関わりを、イラストや建物の模型、映像、出土遺物で解説しています。
久留倍官衙遺跡の出土品やレプリカが展示されおり、当時の人たちが使っていた様子を想像しやすくなっています。また、それぞれにどういうものかが分かりやすく説明書きもあります。写真は「木簡」といい、当時の役人が都に税を納めた荷物の中身やどこから来たかを表す荷札として使っていました。久留倍官衙遺跡の復元模型もあり、当時どのような建物が建っていたか、どのような位置にあったのか、一目見ただけでわかります。久留倍官衙遺跡はⅠ期・Ⅱ期・Ⅲ期と時代によって性格の異なる建物が建てられていました。(復元模型の写真右から順にⅠ期・Ⅱ期・Ⅲ期)
・Ⅰ期(飛鳥時代:7世紀第3四半期=650~675年頃)は、正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていました。郡の政治を行う中心的な建物群です。
・Ⅱ期(奈良時代:8世紀中頃から後半)は、全国的にもまれな長くて大きい建物を中心とした建物群が建てられていました。
・Ⅲ期(奈良時代末~平安時代前期)は、税で集められた稲をおさめる床を持つ構造の正倉が複数建てられ正倉院が形成されていました。
衣装体験ができるのも特徴で、昔の人々の服を着ることで、昔の人の気分になれます。衣装は地域ボランティアさんが製作されました。当時は、衣装の色によって身分の違いを表していました。写真の赤色と青色の衣装では、赤のほうが身分が高く郡の役所より偉い方が、青は郡の役所の人が来ていた衣装です。
公園内に入ると、門が見えてきます。これは、役人を迎え入れた門で、当時は塀に囲われていました。当時の役所は南を向くのが一般的でしたが、ここでは東を向いています。その理由として、海(伊勢湾)を見渡せたり太陽神を信仰していたりとさまざまな説があります。建物は古代の工法であるヤリガンナ材料に着目すると、大量の節が木材についています。これは郡役所を忠実に復元するのに、あえて節が多いものを採用しています。訪れたら一度は立ち寄って優しく触っていただきたいと思います。
公園内には植物が植えられています。これらの植物は万葉植物といい、万葉集に掲載されていた和歌に詠まれた植物です。写真の植物は「たちばな(ミカン)」で、当時の人々と同じ植物を見ることができるのは、感慨深くなります。今後さらに多くの植物を目にすることができるでしょう。
久留倍官衙遺跡公園にいるとき、足元にも注目してみてください。地中には当時の柱の跡などがそのまま残っています。僕らは同じ空を見ているのだ。
●くるべ古代歴史館
●くるべ古代歴史公園
WebサイトURL:https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/index.html
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